月別: 2015年12月

移民を受け入れることのメリットとデメリット

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移民受け入れに関して多くの先進国が模索中である。移民を受け入れることに
関して目先の問題、例えば労働者が現時点で不足している職種へ移民を労働力
として供給することは確かにメリットがあるかもしれない。しかしその時はよ
くても将来その産業が労働力不足であるとも限らないし景気が悪化したときに
移民たちの生活をどう保証するかという問題点が考えられる。また大量の移民
を受け入れた場合にその移民たちで文化が形成され宗教的な集合につながりテ
ロなどの治安の悪化も懸念されるであろう。移民は麻薬であるという言葉をよ
く聞くがまさにこういう問題点を考えたときにそう思われる。一歩政策として
間違った移民の受け入れ方をすればその国の文化が滅びる可能性もありえるのだ。

しかしまた違った考え方もできる。移民が受け入れ先の国で適合できれば
以前暮らしていた国よりも幸せな暮らしができる。環境を変えるということの
メリットは個人にとっては大きい部分もあるだろう。だがこれは受け入れてか
らでしかわかりえないことだ。そして受け入れ先の国の国民性にもよる。

日本ではどうだろうか。
変わり者やよそ者を嫌う排他的な文化がある。移民たちが日本人と仲良く暮ら
していけるかどうか、少し考えただけでその未来は明るくないものが予測される。

日本において移民は現時点で受け入れられてきている
しその報道もされているが報道される時間内で見られる問題だけではなくやは
り彼ら自身の生きづらさは想像するに難くない。欧州ではテロの犯行グループ
が難民として入国していたという可能性も報告されている。疑ってかかること
は難しいが無差別に移民を受け入れた場合そのような悲惨な事件が起こること
も覚悟しておかなくてはいけない。異なった文化圏の人を定住させるというこ
とは一歩間違えば大きなリスクにもなりえるのだ。移民政策が成功するかどう
かは受け入れ先の人たちの移民に対する態度と待遇がやはり大きいだろう。

彼らを単純な労働力としてみるのではなくある程度ゆとりをもって暮らせるだけ
の待遇を与え国民一人一人が移民を温かく迎え入れる、そういう気持ちがなく
ては成功はありえない。逆に言えばそのように国民一人一人が関心を持つこと
が移民政策の鍵を握ると言えるのかもしれない。 

日本では知られていない難民問題、他人事ではありませんよ。

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最近の国際ニュースで、ヨーロッパでのシリア難民問題が報じられることがあります。
私たちの日常生活には馴染みのない問題ですし、あまり関心がないのではないかと思います。

もう一つ、秋以降、日本海側の海岸などに北朝鮮の漁船などが流れついたとか、
ご遺体が発見されたなどの報道が増えています。平成27年は、例年になく北陸
から北海道の沿岸部を含む広範囲に多数の事例が発生しました。冬の日本海
の危険を承知で、生きて日本にたどり着ける可能性が極めて低いにも係わらず、
自国から逃げ出さないといけない状況に追い込まれている北朝鮮の人達が増
加していることを考えると、難民問題は他の国のこと済ませることはできない
のではないでしょうか。

あまり知られていませんが、我が国は、過去東南アジアを主体に1万人程度の
難民を受け入れていますし、現在でもミャンマーからの難民を、少数ですが毎年
受け入れています。しなしながら、数十万人単位として、本格的に中東やアジア
からの難民を受け入れるための検討が必要になった場合に、どんな議論がな
されるのでしょうか。

検討が必要になるということは、日本として受け入れざるを得ない国際環境である
ことは間違いありません。その時、政府の決定に反対する方々は、民族として純
潔が失われる、犯罪が増える、日本が乗っ取られるなどという視点で、国民に
対して、いつものように、建設的な議論ではなく、難民に対する悪いイメージだ
けを強調するのでしょう。多分、いくつかの報道機関も社是といいながら政府に
否定的な報道をするのでしょう。

国として難民を受け入れるとしても、具体的な受入要領となると、都道府県レベル、
市町村レベルでも大議論となるでしょうから、日本という国の在り様まで遡った
議論がなされるのではないでしょうか。

90年代インドネシアで大人数の難民が発生し、マレイシアには毎週数万人が
マラッカ海峡を越えて押し寄せ、シンガポール、タイにも海から難民が来ました。
それぞれの対応の細部は省略しますが、各国の対応を観ていると、我が国の
憲法と現行法制で対応するのは明らかに不可能です。起こってから議論す
るのでは間に合いません。

感情論ではない健全な議論、民主主義国家らしい成熟した国民的な議論が
成されることを期待しています。

UNHCRの活動のあらましと寄付の重要性

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1948年に国連で採択された世界人権宣言にもかかわらず、人権の保護を受け
られずに生活をしている人々がいます。つまり、人種、宗教、水資源などに
よる紛争で迫害や人権侵害に遭い、住んでいる場所から逃げて生活すること
を強いられている人々です。このような人々は、国外に逃れた場合は難民、
国内にとどまっている場合は国内難民と呼ばれます。国連難民高等弁務官事
務所(UNHCR)は、難民の人権を保護し、難民問題に対処することを目的に
1950年に作られました。UNHCRは、1951年に採択された難民条約に基づいて活
動しています。ノーベル平和賞を2度受けたことがある機関です。本部は、
ジュネーブに置かれています。職員が働いている国の数は、117カ国です。
UNHCRのトップである国連難民高等弁務官は、緒方貞子さんが長年務めていま
した。
UNHCRの活動の内容は多彩です。避難民の生命と権利を守るとともに、生活物
資を支援します。また、帰郷などの支援も重要な役割です。なお、UNHCRの
支援の対象になる難民は、3300万人もいます。難民発生時の緊急的な対応も
UNHCRの任務です。避難先国と協力してキャンプを設営するほか、テントや食
料などの物資を配ります。病人やけが人に対しては、医療支援も行います。
これらの活動にあたっては、周辺国政府、他の国連機関等との協調が不可欠で
す。
避難先での難民生活は、20年以上も続くことがあるものです。子供の教育も
重要になってきます。その支援を担っているのもUNHCRです。このほか、職業
訓練や、女性、孤児、老人のサポートも行います。さらに、障害を負った人
のための支援や、心のケアも活動の一環です。例えば、カウンセリングのほ
か、スポーツ活動の機会を設けています。
難民は、故郷に帰るか、それができない場合は避難先または第三国に定住し
ます。避難生活が終わってからの再出発にはハードルが残っている場合もあ
るため、物資支給のほか、道路や学校の整備、平和共存プロジェクトについ
てもUNHCRがサポートします。
日本人の生活も、難民問題と無関係ではありません。日本に逃れてきている
難民もいます。難民問題について知るために、日本でも「世界難民の日」の
イベントなどの取り組みが行われています。学生、企業、市民団体でも可能
な支援の一つに、UNHCRに募金するという手段があります。世界各国からの
拠出金もUNHCRの財源ですが、企業、団体、個人からの寄付も重要です。
100円から500円程度の寄付であっても、多くの人が寄付すれば効果的な支援
が可能になります。

命の漂流

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国を捨てるという選択をする人の気持ちを考えたことがあるだろうか。
今年の9月、トルコの海岸にシリア人の男の子の遺体が漂着した。
たった3歳のこの男の子は家族とともに国を出てギリシャのコス島に向かって
いた難民だった。浜辺に打ち上げられたその小さな体は、メディアを通じて
世界中に報じられ、深い悲しみと難民問題の深刻さを私たちに伝えた。
日本にいるかぎり難民問題は遠いどこかの国の出来事のように感じる。

ニュースで報道される難民の映像は実際に起こっていることなのに、
私たちの生活と余りにもかけ離れているため、なかなか自分たちの身に
置き換えて受け取ることができないのが現実だ。ほとんどの人が家があり、食事ができ、
安心して眠ることが出来る。傷つけられたり、まして殺されるかもしれない
恐怖とは無縁だ。それはここが日本だから。でも人は生まれる場所を選べない。

もし自分が紛争地域に生まれ育ったら、着の身着のまま板を貼り合わせただけの
簡素な船で暗い海に逃げていたかもしれない。そう考えるといかに今の日本の
生活が恵まれた環境であるか感謝すると同時に難民問題への関心も高まるのでは
ないだろうか。難民になる理由は様々だ。戦争や紛争、宗教的上の理由、その他の迫害
など。身の危険を感じ助けを求める人たちが難民だ。難民を支援する世界的な
団体に国連UNHCR協会がある。この団体はこうした難民を支援するため
様々な活動を行っている。食事やテントの設営、感染症を防ぐための予防接種など。

しかし世界中の難民に対しての支援には物理的にも金銭的にも
限界がある。各国も難民に対して支援を行っているがその対応は国によってバラつきがあり、
十分なものではない。日本を見てみると2014年の難民申請は5000件以上あったにも関わらず、
実際に難民として承認されたのは11件しかない。もともと島国の日本に来ること自体
ハードルが高いうえ承認要件がこれほど厳しければ、国を追われた人にとって日本で
難民になるのはほぼ不可能と言える。こうした状況の中私たちにできることはないのだろうか。
まずは関心を持つことだと思う。私たちには目があり耳があり口がある。
現実を見て声を聞き発信する力がある。お金や物資を寄付してもいい。

とにかく一人ひとりが関心を持つことで周りを動かしいつかは国を動かす大きな流れになる。
私は浜辺に横たわる少年の姿を忘れない。決して忘れない。

労働人口の減少を食い止めるために日本は難民を受け入れるべきなのか?

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難民の問題は世界中で物議を醸しており、すでにヨーロッパでは受け入れてい
る国も一部ありますが、いずれ日本でもそういった体制を作るときがくるのでしょうか?

日本で難民を受け入れるべきと考えているのか?については人によって意見も
違いますが、受け入れるべきとしている人も結構多くいます。賛成と反対が拮
抗しているようです。日本の安倍首相は、必ずしも難民受け入れに積極的で
はないようで、「難民受け入れは国内の少子高齢化問題をどうにかしてから
」といった回答をしていました。その少子高齢化を優先するという真意は正確
には分かりませんが、少子高齢化の問題はもはや数年とかのスパンでどう
にかなる問題ではないです。そもそも解決が可能なのか?どうも不明です。

そうなると事実上、日本としては難民受け入れはする気がないという姿勢とい
う風にも読み取れます。日本は金銭的な支援を行うことは表明しているものの
、ヨーロッパのように実際に難民を受け入れていくということは現段階では考え
づらいということです。国民は難民受け入れについて、先ほども説明したように
割と積極的な人も多くいます。その理由としては、安倍首相も懸念している
少子高齢化の流れで確実に減少する労働人口を補うために必要だとする声
もあるのですが、それを補うためにどうして難民なのか?という疑問は当然出てきます。

基本的に日本語が話せない人たちが大勢やってきても、労働人口として戦力に
なるのか?という問題がどうしてもあります。労働人口の減少は、ある程度機
械化を進めることによって解決できるという見方もあるでしょう。人が働かなく
ても良い分野は機械に任せてしまえば、労働人口が減っても、今と変わらな
い国内の利便性は享受できるということになります。労働人口の減少は今後
確実に訪れるでしょう。その解決策は見出さないといけませんが、それが難
民を受け入れることとするのは、時期尚早でしょうし、他の選択肢も検討した
上でのほうが良いのではないか?と思います。

政治家が抱える難民支援のジレンマと日本国の対応の仕方

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難民に関する問題は特にヨーロッパで広がっていますが、
難民の受け入れに関する問題を国としてどう扱っていくか?
というのは、国のトップとして非常に難しい問題です。
ドイツの場合は首相が事実上の政治のトップに位置していますが、
そのメルケル首相の難民に対する政策の方向性というのが、
実は支持率にも相関関係があるというのがよく言われています。

これはつまり、国民がどう考えているのか?という問題と首相の難民に対する
決断が食い違った場合、支持率の低下を即座に招くということも考えられるのです。

そうなると、首相も人間ですから、難民を救いたいという正義の気持ちと自己
保身を天秤に乗せて、どちらを優先すべきか?というのは非常に難しいとこ
ろになると思います。本当に望ましいことが何なのか?というのは分からな
いところですが、自分の立場を鑑みた場合に、本当にやるべきことだと考え
ていることが、素直に実行しづらい、そういうジレンマにも陥っているのです。

また、日本としては難民の受け入れよりは、金銭的な支援を表明していますが、
難民はどう考えても問題だとしても、難民以前に国内にも救わないといけない
人たちがまだ普通に残っているという状況はあるわけですから、自国民を確実
に救う前に他国民を救うというのは、些か腑に落ちない部分もあります。日本
には今日や明日を生きるお金や食事にも困る人たちがまだ残されているはずです。

彼らは難民と状況はそれほど変わりません。日本が日本国民と他国民のどち
らを救うべきか?と考えたら、日本国としてやるべきなのは前者だろうというこ
とになるはずです。別に難民を救わなくても良いというつもりはないものの、
生活保護の支給対象から永住外国人は原則除外になったということを踏まえても、
優先すべきなのは自国民という考えが最も自然ではないでしょうか?

しかし、これも結局政治的な事情がかかわっていて、日本が何の支援もしない
というのは、さすがに世界中からの軽蔑の目でみられがちであり、世界を巻き
込む問題だからこそ、日本としても無視をしていられない事情があるという部
分もあると思います。難民問題が一部の問題であり、世界的にも取り上げられ
ないような些細なことであれば、日本で今も取り残されている一部の国民と同
じような対応をされたと思います。

難民を受け入れる国の品性

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難民。戦争、イスラム国関係のニュースが多く取り上げられた2015年には難
民という言葉も多く使われていたように思う。

自分が生まれた国から離れ、知らない土地に来る彼らの無念さや恐怖心は当事
者にならない限り決して理解することはできないと思う。難民問題とはあたか
も別の世界の人々のように描かれているように思えるが、生まれた場所や生活
の環境といった避けることのできない現実の中で懸命に生きようとしている事
実を決して忘れてはいけないと思う。

そのような中で女性カメラマンが難民の男性に足をかけ転倒させ、子どもを蹴
る動画が世界中で話題となった。私はこれこそ難民問題の根幹に根付く意識の
違いではないかと思う。それはまさに自分には関係ない、関わりたくないと見
て見ぬふりをしてきた結果が生み出す負の連鎖ではないか。

近い将来、日本にも難民の受け入れを要請されるようになるかもしれない。そ
の時日本がどのような決断を下すかは分からないが、同じ世界で暮らしている
現実をしっかりと捉え、故郷を失った人々が第二の故郷として生きていけるよ
う協力していける優しさがこの国に根付いていることに期待したい。

日本は島国であり、古くから他国との干渉を絶ってきた歴史があり、第二次世
界大戦で敗北した際においてもアメリカなどの連合国から完全な占領を受けた
歴史は無い。そのような背景の中、自分たちには関係ないとまるで世界から日
本だけが切り取られているような無関係な雰囲気というものを日本に住んでい
て感じる。平和な世界が一瞬で壊される危険性は今や世界のどこにいても等し
く存在していると思う。いつまでこのような無関係を装い続けるのか。

難民問題を解決するには、難民を受け入れる国の国民の品性を高め、難民の人
々が人として尊厳を守れるような社会を共に構成していくことが必要ではない
か。難民の人々が居てくれることで国が成長していくような仕組みを生み出し、
今のようなネガティブな意味ではなく、受け入れた国にとってなくてはなら
ない存在になれば、今回のような事件は減っていくと思う。

自分の生まれ故郷へ帰ることができる日ができますように

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難民問題というのは日本に住んでいるとあまり実感がない。命を守るために他
の国へ逃げなければならないというシチュエーションは日本では考えられない
からだ。しかし世界には、命をかけて逃げ出して、そしてようやく安全に住め
る場所へたどりついたものの、今度は基本的人権もなく、何かあっても自分の
国ではないから政府から保障があるわけでもなく、結局不安な日々を送らざる
をえない人たちがたくさんいる。

2015年4月にネパールで大地震が発生し、各国からの支援が相次いだが、支援
を受けることができない人たちがいた。チベット難民だ。ネパールにはチベッ
トからの難民が約2万人住んでいるが、ネパール政府は各国からの支援物質を
ネパール人には配給したが、チベット人への配給はなかった。正式な国民では
ないので仕方がないといえば、仕方がないのかもしれないが、同じ場所で同じ
被害にあっているのに、このような待遇を受けてしまうのが難民の境遇の困難
なところだと改めて思った。

インドのチベット難民エリア、ネパールのチベット難民エリアを訪ねたことがあるが、
それなりにコミュニティーができていて、表面上では難民という名前ながらも
安定した生活ができているのかな、と思っていたけれど、
いざ何かあったときに助けてくれる政府がないのが難民なのだ。
頼れるものは何もない、自分でどうにかするしかないのだ。

日本にいても、生活が完全に保障されているわけではないけれど、それでも日
本という国に守られている面は多々ある。難民の人たちの生活の不安定さとは
比べ物にならないだろう。日本にいると自分が難民になることなんて想像もで
きないが、今、難民として他の国に住んでいる人たちも、元は平和に自分たち
の国で暮らしていた人たちなのだ。それがあるとき、自分たちの国が争いの場
所となり、不可抗力でそこから出なくてはならなかったのだ。難民になりたく
てなった人など1人もいない。

さらに紛争が長引き、難民二世三世が生まれてくると、彼らのアイデンティ
ティーの喪失はますます複雑な問題になってくる。自分はここで生まれたけれ
ど、ここは自分の国ではない、という状況ではアイデンティティーを育てるの
も非常に困難になるだろう。

日本人は難民問題に無関心すぎるとよく言われる。私は無関心なつもりはない
けれど、かといって何ができるとも思えない。関心を持ったところで何もでき
ないではないか。援助や寄付ぐらいはできるかもしれないが、それでは根本的
な解決にはならない。難民問題はあまりにも大きすぎて、無関心はよくないと
言われても、ではどうすればいいのか、私にはわからない。

私達が難民に出来ること

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近代化した社会で、生活に余裕はないといえども食べて寝ることに不足のない
そういう生活をしている私達として、難民の存在はまるで映画の中の出来事
のように思えるときもあります。

いまだに戦争が行われ、大量虐殺や、集団暴行など法というものが無い
そういう国の現実を思うとき私達はどれほど平和な世の中に住んでいるのか
計り知れない幸福な環境での生活だと思わずにいられません。
今シリアでの難民が増えるなか、ヨーロッパは麻痺状態になり、
各国での難民受け入れにたいして、賛否両論なようです。
難民のふりをしてテロを行っている集団などがる中で、難民の中から
それを見つけて対処するなんて到底不可能な事だとうのは現実です。
かといって全面的に否定して受け入れをしないかという事になると、
海で放流する中で難破して死んでしまった難民の人達の内容などを見ると
もしも自分の家族がそういう状態だったらどうだろうかと心痛く
思わずにはいられないのです。

そういう中で日本という国が難民申請をする中で5000人のうち
11人しか受け入れをしなかったということを耳にしました。
それに対して国内や海外として賛否両論という現実なのですが、
私の個人的な意見としても、受け入れる事は大切だと思うのですが、
その難民の方々と日本人との間で大変なことが起こらないように
はじめからきちんとして対策などを立てて、人権問題もありますが
管理システムを作って、定期的にどういう状態でいてどういうふうに
暮らしているかというのをチェックすることが大切だと思うのです。

もしたった一人でも犯罪を犯す場合、他の難民にまできっと矛先が行くと
思うのでそういう悲しい結果を生まないように対処して受け入れを
出来るならもっと広げてもらえたらと思います。
そういう中で、経済大国と言われる日本では国連などの難民支援に
対してはもっと積極的にとりくんで欲しいと思います。
難民を受け入れないという現実で私達の国として出来るのは、せめて
環境を保護することの出来る、医療は食料などの支援だけでもするべきです。
世界の先進国として恥ずかしくない国となって欲しいとおもいます。

ドイツの現状から移民問題を考える

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ドイツでは移民に対する反対意見の感情が高まっている。
母国から逃げるようにドイツへとやってきた移民たちは、ドイツでも迫害や冷遇を受ける。
移民だけではない。ドイツにおいては、
彼らを保護しようとする赤十字もまた同様に冷たい扱いを受けている。

 ドイツはかつて第二次世界大戦時にナチズムによってユダヤ人に対し
人種差別を行ってきた歴史がある。その歴史を繰り返すわけではないが、
そこからの教訓を生かしきれていないように感じられる。

もちろん移民は人種問題だけではなくその国の政治経済に関わってくる問題であるから、
一面的に良い悪いを決めつけてよいというわけでもない。

 例えば現代の日本でも、少子高齢化対策の一環として、移民政策も提案されている。
これまである種ガラパゴス的に成長してきた日本が移民を受け入れるのは極めて
慎重になる必要がある。

もし移民によって少子高齢化の進行を抑制することにつながったとしても、
他の面から見てみれば単純な人種問題だけでなく、
そこから格差や対立が生じてくることが予想されるからだ。

いずれにしろ、今までの日本とは違う日本になりうる。
移民によってひとつの問題が解決したとしても、
結局は別の問題が生まれるため、
今になっても大規模には実現しない政策なのである。

 もちろんドイツでは反移民感情が高まっているものの、
彼らを支援する人々がいないわけでもない。

だが、そういった人々はドイツ国内においてはマイノリティにあたるわけで、
積極的に意見を発言することや行動を起こすことが難しいと考えられる。

なぜなら、上でも赤十字もまた被害をこうむっていることを書いたが、
移民は彼ら自身が迫害を受けるだけでなく、
彼らを保護する団体も狙われる対象となるのである。

 グローバル化が進み世界が平均化していっているとはいっても、
まだ格差や文化の違いが残っている。そういった現状である以上、
今後の時代では移民はひとつのキーワードといっても過言ではない。

そしてその移民問題に対し我々は逃げることはできず、
立ち向かっていくしかないのである。