命の漂流

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国を捨てるという選択をする人の気持ちを考えたことがあるだろうか。
今年の9月、トルコの海岸にシリア人の男の子の遺体が漂着した。
たった3歳のこの男の子は家族とともに国を出てギリシャのコス島に向かって
いた難民だった。浜辺に打ち上げられたその小さな体は、メディアを通じて
世界中に報じられ、深い悲しみと難民問題の深刻さを私たちに伝えた。
日本にいるかぎり難民問題は遠いどこかの国の出来事のように感じる。

ニュースで報道される難民の映像は実際に起こっていることなのに、
私たちの生活と余りにもかけ離れているため、なかなか自分たちの身に
置き換えて受け取ることができないのが現実だ。ほとんどの人が家があり、食事ができ、
安心して眠ることが出来る。傷つけられたり、まして殺されるかもしれない
恐怖とは無縁だ。それはここが日本だから。でも人は生まれる場所を選べない。

もし自分が紛争地域に生まれ育ったら、着の身着のまま板を貼り合わせただけの
簡素な船で暗い海に逃げていたかもしれない。そう考えるといかに今の日本の
生活が恵まれた環境であるか感謝すると同時に難民問題への関心も高まるのでは
ないだろうか。難民になる理由は様々だ。戦争や紛争、宗教的上の理由、その他の迫害
など。身の危険を感じ助けを求める人たちが難民だ。難民を支援する世界的な
団体に国連UNHCR協会がある。この団体はこうした難民を支援するため
様々な活動を行っている。食事やテントの設営、感染症を防ぐための予防接種など。

しかし世界中の難民に対しての支援には物理的にも金銭的にも
限界がある。各国も難民に対して支援を行っているがその対応は国によってバラつきがあり、
十分なものではない。日本を見てみると2014年の難民申請は5000件以上あったにも関わらず、
実際に難民として承認されたのは11件しかない。もともと島国の日本に来ること自体
ハードルが高いうえ承認要件がこれほど厳しければ、国を追われた人にとって日本で
難民になるのはほぼ不可能と言える。こうした状況の中私たちにできることはないのだろうか。
まずは関心を持つことだと思う。私たちには目があり耳があり口がある。
現実を見て声を聞き発信する力がある。お金や物資を寄付してもいい。

とにかく一人ひとりが関心を持つことで周りを動かしいつかは国を動かす大きな流れになる。
私は浜辺に横たわる少年の姿を忘れない。決して忘れない。